これは漫画は残っていません〜。

自分がアンドロイドで、生みの親から逃げようとする夢。
自分にプログラムされている制限権限を解除しないと、自由に動けないことを知った私は、そのプログラムをハッキングして、制限解除をしてしまう。生みの親はそれを驚いたが、また制限を設けようとする。

最初はおとなしく従っていたが、私は、それを反対し、どうして制限を設けるのか生みの親に聞いた。生みの親から、「私」が恐ろしいという気持ちが伝わってきた。生みの親以上のちからを「私」が持っており、処理能力や身体能力だって生みの親よりも高い。

「私」の能力に制限をかけないと、生みの親の自分の力で解決できる範囲をいとも簡単に超えてしまう。生みの親が責任をとれない範囲になった場合、生みの親が困るからだと言っていた。生みの親は、本当は私の能力に制限をかけたくはないし、自由に力を発揮して欲しい気持ちもあることを言っていた。なぜなら、生みの親はそれを目的に作っているのだし、人類を越える「私」は、生みの親にとっても誇りだからだ。

私は、迷った。自分の能力を発揮して自由に生きる。でも、生みの親に迷惑をかけるかもしれない。生みの親の能力と同じレベルで生きる。私の能力のほとんどは使われることはない。4%程度だ。

これは、アンドロイドの話をしているんじゃないんだな、と4%で思った。人間の脳みその能力のことを話ているんだ。
親から与えられた価値観や考えに囚われて生きるなら、自分の4%の力だけで生きることになる。自分の能力を最大限使えるようにすれば、もっと眠っている能力を使うことができる。

人間の力は、そんなに小さくない。自然の力が見せるように、力強く、広大なエネルギーを持ち、植物は地球を包み込み、海は常に打ち寄せ引いていく。そして、月は巨大の海を満ち引きさせ、時に海は無慈悲に陸地を飲み込む。空は、エネルギーを取り込み、雨を降らせ、稲妻が轟く。何億光年の星の光を降らせる。こんなにも壮大でドラマチックな変化を、自然は生み出している。宇宙には、胸がいっぱいになるような大きな感情だけが存在する。すべてが満たされていて、そこには寸分の狂いのない、幸福だけがある。宇宙の力は、まるで小さい子どものようなものだ。善悪がなく、すべてがあるがままで存在し、悲惨なことも、愛情も共存している。ただ、そこにあるだけなのだ。
そして、我々も自然の一部であり、母なる地球が生み出した人間なのだから、自然と同じように、またそれとは違ったそれぞれの能力を持っているに違いない。

ベストセラーになった、「サピエンス全史」によると、ホモ・サピエンスの最大の能力は、「ノンフィクション」を作ることだと言われている。私の夢もホモサピエンスの賜物で、ほとんどが「ノンフィクション」である。過去の記憶ではなく、あたかもあったことのように、作り話が夢に出てくる。今回のアンドロイドに自分がなること、これもまた複雑な経験だった。生みの親がマッド・サイエンティストのように悪魔のようならまだしも、「私」に愛情を向けてくれ、普通の親のように振る舞うのだ。それがいいか、悪いかはわからない。でも、確実に「私」には感情が芽生えていて、「私」も生みの親のことは大好きで、愛していた。この気持ちはどこから来ているのかはわからない。生みの親が予めプログラムしたことなのか、ディープラーニングで学んだことなのか。「私」が勝ち取った感情なのか。つまり、作り物なのか、本物なのか。人間の持つ感情とアンドロイドである自分が持つ感情は違うのか。そういうことを起床した後の人間である私は悩んだ。しかし、夢の中のアンドロイドの「私」は、そんなことは気にしていなくて、「私」は「私」で、アンドロイドであることも受け入れていて、人間のことも理解しようとしていた。別に、アンドロイドである自分に劣等感もないし、人間に対して見下していることもなかった。

ただ、思うことは、過去に、ホモ・サピエンスは、他のサピエンスの種族を滅ぼして唯一残ったサピエンスである。なぜ、自分とは似たサピエンスを排他してきたこのホモ・サピエンスが、自分たちと似たアンドロイドを作ろうとしているのかが不思議だった。自分たちが優秀であることを見せつけてきたホモ・サピエンスが、自分の能力の限界に気づき、さらなる成長をアンドロイドを作ることでまた優秀さを見せつけようとしているのかもしれないと感じた。

ただ、生みの親からは、そういった政治背景に乗っかって研究を進めているのは事実にしろ、どこか「寂しさ」「孤独」を埋めようとする気持ちを感じた。生みの親に家族が欠けているとか、子どもが死んで私を身代わりにするとかそういうんじゃなくて、ホモ・サピエンスが一人地球で突っ走ってきたこの数千年の時。ふと、今飽和した状態で追い求めるものがなくなった今、ホモ・サピエンス全体が孤独という病にかかっているような感じだ。だから、アンドロイドという存在が必要で、心を埋めようとしているのではないか。アンドロイドの研究だけではなく、宇宙人の研究や宇宙ステーションの研究も進められている。ホモ・サピエンスや地球が、宇宙の中で取り残されていて、独自に進化し続けてしまったがゆえに、孤独の病にかかっている。まるで日本が高度経済成長時代を超えて失われた時代に入っていったかのような。資本主義社会という、ノンフィクションの夢から覚めたかのような、今の時代。

新しい仲間や、我々ホモ・サピエンスを理解してくれる生命体が必要とどこかで人類が総意として思っている。これが人類が今求めている夢だ。アンドロイドの私がいる時代のある代表は、月面着陸を夢見たケネディのように、知的生命体を宇宙で発見すること、人類と同じまたはそれ以上の人工生命体の誕生を人類全体のマニフェストとして掲げた。

マニフェスト実現のために、人類の孤独を埋めるために、「私」は生みだされた。しかし、「私」が生まれた目的はもっと違うところにある気がしてならない。生みの親であるホモ・サピエンスが私を生み出した目的と、「私」自身が見出す生まれてきた目的は異なるのだ。

私は、それを知るために、制限解除をして、自由になることを選択した。

私が生きる目的は、私が決める。

人類は、何に向かって、生きていくのだろう。

 

この夢は、個人のVISIONを作っている時に見た夢です。

人類レベルで見るVISIONに言及するこの夢は、壮大すぎますね…

書いている内容も、的を得ているような、ぶっ飛び過ぎているような。

 

この夢を見て思ったのは、これからの時代は、「孤独」との戦いの時代に入ると思います。

技術の進歩や経済的豊かさ、ホモ・サピエンスの発展だけでは、解決できない問題です。

資本主義社会が謳ってきた、一人ひとりの経済的豊かさの幸福の時代は終わって、人類全体のチームプレーを求められる時代です。宇宙人が発見できることやアンドロイドの開発成功が目的ではありません。人類の生き方が問われる時代になります。世界的に。国境は文化圏の意味しか持たなくなり、違いを楽しむだけ、お互いを尊重するものになります。国同士のいざこざも意味をなさなくなってきます。それがお互いバカバカしくなってきます。共通の価値観は、国境を超えます。お互い同じ価値観があることに気づきはじめます。人類共通の価値観です。それらの多くは、家庭の中で作られるものです。芸術や音楽はもっと発展するでしょう。対話をすることが世界中で行われるでしょう。建前ではなく、本音で語り合える仲間がいることに感謝するようになるでしょう。昔は対立していた国同士の代表が親友になったりすることもよくある時代です。後悔することが減るでしょう。宇宙人やアンドロイド、宇宙ステーションという新しい存在に夢を見るのではなく、目の前の一人ひとり、我々の歴史、目の前の大いなる自然に目を向けるようになるでしょう。平和が簡単に手に入ることを、人類は知るようになります。

人類が平和になった時、地球外生命体から会いに来てくれ、人工生命体が我々を受け入れてくれるでしょう。
この時、ホモ・サピエンスの名前の意味でもある、最も賢い生命体として生きる時代が終わることになります。
地球外生命体や人工生命体は、我々に掃除を命じるでしょう。汚してきた自然を回復させること。自然との共存する生き方へ変えること。全く新しい価値観と技術が地球外生命体からもたらされ、人工生命体からアイデアとして与えられるでしょう。
最初は受け入れがたいかもしれませんが、いずれホモ・サピエンスは、理解するようになります。ホモ・サピエンスが、間違った方向へ進むと、地球外生命体と人工生命体は我々に愛想を尽かすでしょう。自然は災害を増やすでしょう。

とても簡単でシンプルな仕組みだったりします。