この動画がおすすめに出てきたのですけど、
私は怒られるのがすっごい苦手だし、怒るのもすっごい苦手。
でも、なぜ怒るのかっていうところを知れるいい話がありました。
「怒るってことは自分に経験値がないから」
なるほど・・・
この動画では、相方の日村さんが、昔は何にも怒らなかった丸い人だったのに、
今は人に怒ってしまうという話をしています。
それに対して、それは日村さんに経験値がなかったからだと相方の設楽さんが言います。
それって、言われる側としては、それこそ怒りそうなもんなんですが、
日村さんは受け入れて話を聞いています。
なかなか受け入れるってできないことだから、すごいですね。
二人の信頼関係の深さも垣間見えます。
で、経験値がないから怒るってどういうことかというと、
経験値がある人は、「あ〜、昔俺もそうだったな」とか
「こいつはこういうことをやろうと思っているんだな」とか、
いろいろな経験を元に考えることができる。
でも、経験値がないと、「なんでこうしないんだ!こうしなくちゃ駄目なんだ!」
って、自分が思っているやり方に相手を引き戻そうとする。
その時に怒りが出てくる。
つまり、自分の知っているやり方に合わない人が出てくるだけで、
怒りが出てくるというわけだ。
なるほど〜。
不測の事態になったりすると人はすごく怒る。私を含めて、怒りが出てくる。
自分の都合に悪いことになったりすると、どう対処すればいいかわからないと、
特に怒りをあらわにする。
経験値がある人は、ある程度のことでは怒らない。
なるほど、わかりました。ではこうしましょう。と話を淡々と進める。
すでに、その事実を知っていたかのように。
実際はその事実を知っていたのではなく、
過去の経験から解決策やこの先どうなるかを知っているし、
経験があるので、心が動揺しないし相手のそのやり方や方法だって受け入れられるのだ。
この話には続きがあって、日村さんは昔は怒らなかったという点についても触れている。
なぜ、今よりも経験値が少ない昔よりも今の方が怒るのか?
それは、怒りが「自分のこうあるべき」という確固たる経験がそうさせているという。
つまり、昔は、自分のやり方やスタイルすら持っておらず、
こうすべきという考えすら無かったからだ。
つまり、怒りをあらわにするということは、自分なりのスタイルを築けている証拠で、
成長しているということなのだ。
例えば、二代目の子どもが初代の親に対して、「親父の店はこうだから駄目なんだ!」と言い出すのは、
ある程度世間のことを知って、自分なりに学問で自信をつけてきたから。
それに対して、親が怒るのも、親なりのやり方があって、それまでやってきた自信があるから。
だからお互いに怒り、喧嘩になるのだ。
つまり、子どもが成長しているというわけだから、
親は「言うようになってきたなぁ、成長しているなぁ」と見守っていればいいのかもしれない。
むしろ、怒りをあらわにしない人たちも多くいる。
自分の主張をせず、怒られるのも嫌がり、怒るのも嫌な人たち。私のように。
心の中では怒っている。こうすべきだということや理不尽な世の中を知っている。
怒りを表現するかしないかは、自分の選択。
さらに、その心に湧き上がった怒りにどう対処するかも自分の選択。
その時は、自分に対して、「成長してきているなぁ」と思うのもいいのかもしれない。
私が以前に会った人の中に、「怒りをなくしたい」と言う人がいた。
経験豊富で温和に見える彼は、意外にも自身のことを怒りっぽく穏やかではないと言っていた。
外見だけではわからない心の中。それを認める強さ。
怒りを認めるのすら、私には怖いことだと気づいた。
怒っている自分は未熟で恥ずかしいと思う自分がいた。
怒りは成長の一つの過程で生まれるもの。
良いも悪いも無いのだから、そのまま怒りを感じる自分を受け入れれば良いのだ。
日村さんみたいに、成長の証として。