2020年8月31日(月)今日見た夢。
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私は、女子中学生で、友達と海の近くに遊びに来たら、いつの間にか海の底にいて、周りにも人が何人かいた。

不思議にも息ができて、私の大切なペット?の黒猫も一緒だった。(黒猫はリアルでは飼ってない。)

その海の底に取り残された私たちは、亡霊のように、ただ存在していた。

人魚でもなく、人間でもなく。

そんな時、静かな深海に、突然、古びた船が海中へ堕ちるように、近づいてきた。

私たちは、その船に潰されそうになった。

私は身を呈して、船を止めようと手を広げて、みんなを守ろうとした。

(リアルの私なら一目散に逃げるだろう。)

黒猫も、一緒に船に立ち向かった。

船はいとも簡単に私と猫を海底の砂地に生き埋めにした。

私は意識があって、生き埋めになった砂の中で、黒猫もまた生きていることを知った。

黒猫は私が作ったほんのわずかなスペースで、私に諦めるなと言うように動き回った。

意識が薄れてきて、(意識の薄れをリアルで体験したことがないのでたぶん意識が薄れたんだけど。)砂の中で私は死んだのだと思った。

しばらくすると、私は布団の中にいることに気づいた。自分の部屋だ。二度と戻ってこれないと思ったこの部屋に、私はいつのまにかいた。

身体は痛くないし、あれは夢だったのか?
(夢の中で、夢だったのか?って思う謎)

隣に何か生物がいる。

私は思わず悲鳴をあげた。

毛はほとんどなくて、まるでどぶネズミのような姿の動物が横になっていた。

私はショックでベッドの端まで避難した。

でも、よく見ると、どぶネズミの目は、私がさっきの夢で最期に見た目だった。

飼っていた猫だった。

どうやら、飼っていた猫は自分の毛皮と引き換えに、私を救ってくれたのかもしれない。

私は思わず涙を流して、その痛々しい猫を慎重に抱きかかえた。

痛くない?

猫は私にすり寄ってきた。

ああ、どうして、こうなってしまったんだろう。

私は猫を抱きしめた。

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ここで夢は終わり。

なんとなく、猫は、中学生の女の子を守るために一緒にいて、神様と、この黒猫の1番の誇りである毛皮と引き換えに、女の子を助ける契約をしたんだと思う。
もしくは、女の子を助けるために東奔西走する中で、地獄を見てきたのかもしれない。

死と引き換えでも良かったんだけど、猫が女の子とどんな姿になっても、女の子から嫌われても、捨てられても、死に逃げることなく、自分も生きて、離れていても一緒に苦しみも楽しみも生きて分かち合いたいと思っていたんだと感じる。

子供のためにならなんでもするような子供への愛情とか、愛するひとへの真実の愛とか、無償の愛ってのをこの黒猫は体現してるのかも。自己犠牲は嫌いだけど、猫は自己犠牲って思ってないところがまた辛い。
中学生も自己犠牲の行動をとっている。どこか、私の深層心理で、自己犠牲がテーマになっているのかもしれない。

自己犠牲は美しく描かれがちである。そこまで思える気持ちは美しいと思う。しかし、自分を滅ぼすのはどうなんだろう。それも一つの生き方なのか。