これは、よく覚えている夢です。
私は、晴れ渡った空と雪山が見える小さな窓。
そこから陽がまっすぐ地面に落ちている。
その隣に、私の荷物が詰まった大きなボストンバッグが横たわっている。
私のいる部屋はコンクリートのような薄暗く冷たい部屋で、外とのコントラストが眩しい。
私は今まで何をしていたのかはわからなかったが、この山から降りるために、荷物をまとめたのだけはわかった。
私はバスに乗り、下山するらしい。
バスが数台あり、私は自分の乗るバスに乗ろうとした。
荷物をバスに積み込もうとすると、わたしが乗るバスは荷物を乗せる場所はなくいっぱいだった。
そのため、次のバスの荷物を預けて、私は荷物とはバラバラのバスになった。
なんで荷物と一緒のバスに乗らなかったんだろう。
いつのまにかバスは発車して、自分の荷物を乗せたバスを見失った。
下山して、合流した時に探せば良いだろうと思い、揺れるバスに身を任せた。
下山すると、いくつかのバスがすでに到着していた。私もバスから降りて、荷物の乗ったバスを探し始めた。
観光地なのに、その状況は、観光という気分ではない。まるでお通夜のようだった。
子供を連れた母親が、花壇のヘリに腰掛けて、はしゃぐ子供に構ってられないくらい頭を抱えて落ち込んでいる。
子供はそんな母親を気にせず子供たち同士で遊んでいる。何かが変だ。
変なところといえば、この母親の格好が古臭い。昭和の感じ。子供もおなじく、古ぼけた感じがした。
そして、周りを見ても、誰もスマートフォンやケータイを触っていなかった。
こんなに不安なら誰かに電話するなり、連絡するだろうし、なにかを待っている間の暇つぶしをするだろう。
子供たちはゲーム機を持っていない。
私は、バスを探していて、信じられないことを聞いた。バスが転落したので、関係者は待っていて欲しいと。
運悪く私の荷物もそのバスだった。しかし、転落事故で、荷物が無いかもしれないと言われた。
急いで転落事故現場から回収して、このふもとの施設の駐車場(建物の下にある駐車場)に並べるから、待っていてくれとのことだった。
先ほどの母親は、もしかしたら家族が転落事故に遭ったのかもしれない。だから、無事でいてくれるよう祈っていたのかもしれない。
彼らの様子を見ながら、無言でひたすら待ち続けた。もう、陽が傾き始めていた。
しばらくすると、準備ができたのか、呼ばれた。
私はすでに暗くなり始めている駐車場に入ると、くまなく自分の荷物を探したが、無かった。
奥にも、いくつか真っ黒なボストンバッグらしきものがきれいに並べられてあったので、そちらに行こうとすると静止させられた。
私は察した。
貴重品は手元のカバンにあるし、荷物はいいかと思って、そのままふもとを離れた。
本当はこの先もバスで帰る予定だったが、この事故で混乱し、いつ出発になるかわからない。
私は自分の足で帰ろうとした。
長い人気のない道に出た。電信柱がぽつぽつと立っていて、木でできていた。舗装はされている道だった。
ところどころに民家がある、田舎道だ。
電信柱が道に長い影をつくる。夕焼けの色がだんだんと濃くなり、私を焦らせる。
夏の終わり、影が長く感じ、夕焼けの色も濃く感じてくる季節。
この道はどこまで続くのだろう。私は途方に暮れた。
運良く、タクシーが通り過ぎた。私は藁をもすがる思いでタクシーを止めた。
このタクシーも、変わった色と形だった。
「相乗りいいですか!」
タクシーの運転手と助手席のお客さんは私を後部座席に乗せてくれた。
このタクシーは、私が乗ったことのないタクシーだった。
革張りのような濃い飴色のシート、前を向くと、運転手の握るハンドルは細く、車の内装のデザインがレトロだった。
昔のウルトラマンで出てきそうな雰囲気の車だった。
車から流れるラジオを聞いていた。助手席のおじさんと運転手がラジオについて話している。
おじさんたちは、白いカッターシャツにスラックスという出で立ちだった。
野球中継かスポーツの中継をしている感じだった。
そのラジオから聞こえるトークに、私は先ほどの服装やスマートフォンを持たない違和感が何なのか理解した。
「運転手さん、今、西暦何年ですか?」
「はぁ?今年は1972年だよ。」
1972年!私は驚愕した。
ここまでのんびりと過ごしていたが、一気に脳味噌が総動員して考え始めた。
まず、私はどこに帰ろうとしているのかわからなかった。1972年は私が生まれる前だ。私は誰だ?!
次に私が心配したのは、このタクシー代だ。
平成のお金は使えないし、クレジットカードも使えないだろう。キャッシュカードだって使えない。
私は1972年だと無一文なわけだ!
とりあえず、どこに行くかだ。誰を頼るかだ。こういう時は、親を頼るしかない。
1972年だったら、生まれているだろう!!そうだ、もしかしたら結婚してるかもしれない。
どこにいるのかなんて検討がつかない。
私の本籍に住んでたって聞いたことあるけど、そこに行くしかない!本籍はどこだったか?
私は、手持ちの貴重品の財布から、免許証を取り出した。そうか〜!免許証はある年から本籍地を表示しないようになってるんだったわー!
確か〇〇市の…どこだー!混乱していると、財布のお札をとりあえず見てみた。もしかしたら気を利かせた神様が旧札に両替してくれてるかもだし!
(この時点で夢とはまだ気付いていません)
福沢諭吉のお札の中から、なんと!旧札の五千円札が出てきた。五千円札しかないんかーい!全部両替してくれよー!!
(この時の五千円札の手触りは覚えてる)
ここがどこかわからないまま、駅まで五千円札で行けるのか、不安に震えながら、タクシーに乗り続けるのであった。
居場所が不確かな親に会いに行く方がいいのか、おじいちゃん、おばあちゃんに会う方がいいのか。
私は、信じてもらえる要素が多い(個人的なことを知っていると証明できると考えた)親に会いに行くことにした。
果たして親に会って、娘だとわかってもらえるだろうか…?!私の夢はここで終わった。
不思議な夢ですね〜。
まず、この夢を見た後、親に早速話しました。
まず1972年、父と母は20代前後。
まだ父と母は結婚する前でしたが、同じ県内に住んでいました。
なので、本籍地に行っても、会えません!と言われました。
もし、会えたら、私よりも年下の父と母に会えます。何を話そうかしら。
次に、旧札の五千円札。母に聞いたところによると、当時の五千円札は大金だったそうです!だから、駅までいけるんちゃう?とのことでした。
どれくらい大金だったか調べてみると、当時の大卒の初任給が5万円(今の15万くらいの価値)くらいだったので、3倍くらいの価値があるので、15,000円くらいなのでは?
ちなみにタクシーの初乗り料金は170円。駅までがどれくらいの距離かが分かりません。なんとなくこの場所は長野県ぽかったけど、詳しい場所まではわかりません。
タクシーの車種は、調べてみたらブルーバードっぽい。
なんだか、リアルな夢でした。